翻訳と辞書
Words near each other
・ 熊谷区検察庁
・ 熊谷卓三
・ 熊谷博之
・ 熊谷博子
・ 熊谷史人
・ 熊谷和徳
・ 熊谷商工信用組合
・ 熊谷商工高等学校
・ 熊谷商業高等学校
・ 熊谷喜一郎
熊谷喜一郎 (内務官僚)
・ 熊谷嘉人
・ 熊谷図書館
・ 熊谷在直
・ 熊谷地区消防組合
・ 熊谷基地
・ 熊谷堅直
・ 熊谷大
・ 熊谷大橋
・ 熊谷大橋 (荒川)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

熊谷喜一郎 (内務官僚) : ウィキペディア日本語版
熊谷喜一郎 (内務官僚)[くまがい きいちろう]

熊谷 喜一郎(くまがい きいちろう、1866年5月26日慶應2年4月12日)- 1949年昭和24年)10月9日)は、日本の内務官僚樺太庁民政長官、県知事
==経歴==
熊谷禎蔵の長男として江戸で生まれる。1892年帝国大学法科大学を卒業。同年7月、内務省試補となり社寺局に配属された。
1893年11月、北海道庁参事官に就任。以後、内務書記官拓殖務省書記官、農商務省陸軍省・内務省の各参事官、兼台湾総督府事務官などを歴任。1905年8月、樺太民政署が設置されると民政長官に就任。1907年4月、樺太民政署が樺太庁に改編され、引き続き民政長官を務めた。
樺太庁では長官の楠瀬幸彦と不仲になり、第1次西園寺内閣内務大臣である原敬1908年4月24日に両名を更迭し、熊谷は同年6月12日付けで山梨県知事に就任した〔伊藤(2014)、p.52〕。山梨県政においては明治40年の大水害からの復興に尽力した。1912年(明治45年)3月27日から4月4日には皇太子嘉仁親王(大正天皇)の山梨県行啓が行われている〔小畑(2014)、p.22(39)〕。熊谷は3月9日に上京して皇太子行啓の内示を受けている〔小畑(2014)、p.22(39)〕。同年12月14日には江戸時代の甲府藩主で大老格柳沢吉保に対して贈従三位の策命にあたり、策命使をつとめる〔『三富開拓誌』47頁。〕。
1913年6月、山梨県知事を休職。1914年4月、石川県知事に就任。1915年4月、石川県知事を辞し退官した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「熊谷喜一郎 (内務官僚)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.